最中の由来
名前の由来は、約1,200年前の平安時代に
『最中』という名前の起源は
今から約1,200年前の平安時代まで遡ります。
宮中の宴の席で、こんな句が詠まれました。
「 水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける 」
宮中で月見の宴をした時に出された、白い丸餅の菓子が、
中秋の名月に似ていたことから、
源順(みなもとのしたごう)という歌人が詠みました。
それから約1,000年後の江戸時代。
その句に因んだ「最中の月」という菓子が誕生することになります。
ちなみに 「最中の月」とはちょうど十五夜の満月のことです。
( 左:江戸商売絵字引より(幕末期) )
「最中」の起源は江戸中期、吉原にあり
江戸中期に、現在の「最中」の起源とも呼べる菓子が、
吉原(弊社のある浅草の近く)の当時の煎餅屋、
「竹村伊勢」で売り出されました 。
その名も、「最中の月」。
上の句に因んだ名前です。
もち米粉に水を加えて、こねたものを蒸したあとで焼き、
砂糖をまぶした干菓子であったようですが、
まだこの頃の「最中」には餡は見られません。
江戸時代の煎餅屋は、左のようなスタイルで製造していたようです。
「最中の月」というくらいですから、主に丸いものが主流で、
四角いものは珍しがられて「窓の月」と呼ばれていました。
( 左:人倫訓蒙図彙より(元禄三年1690年 )
最中饅頭こそ、現代の「最中」の起源
「最中饅頭・・・???」
となるかと思いますが、実際に江戸期に存在し、
主に日本橋界隈で販売されていたようです。
上でご紹介した「最中の月」で餡を挟んだお菓子こそが、
「最中饅頭」なのです。
右は、江戸買物独案内という当時のタウンページの一コマ。
ばっちり「最中饅頭」を販売中です。
このお店を含めて「最中饅頭」が二軒、
四角い「窓の月」が一軒掲載されていました。
不思議な事に、「最中の月」を掲載しているお店がないんです。
後々調べてみるとこの文献、掲載料を払ったお店だけを掲載しているそうで、
「最中饅頭」は新発売だから載せていたのかもしれません。(あくまで推測です。)
その後「最中」と言えば、餡を種で挟んだものが主流になったと言われています。
現代の「最中」のスタイルは、
江戸時代のこの頃から受け継がれてきたものなのです。
技術の進歩で様々な「最中」が誕生
明治以降には、金型技術の進歩のおかげで
様々な「最中」が誕生するようになりました。
左は最中種の金型です。
こちらを上の機械に取り付けて製造します。
この金型のおかげで、複雑な模様や形など、
様々な最中種を製造することが出来るようになりました。
以前は右のような手焼型で一枚一枚、鯛焼きの様に手焼きをしていました。
弊社で現存する一番古い型は、明治九年に作成した手焼型。
もう使う事はできませんが、弊社のかけがえの無い財産です。
最後に【 monaka-ya.com 】のこと
私共、【 もなかや.com 】は、(有)種亀の小売専門サイトとして
2010年4月にオープン致しました。
(有)種亀は江戸時代から続く「最中種専門店」として、
日本中の皆様に、最高品質の「最中種(もなかの皮)」をこれからもご提供させていただきます。
また「最中種(もなかの皮)」を通じて、
日本の菓子文化の伝承に少しでも貢献できればと、日々活動しております。